そしてこの数字は昭和27年以来の人数とのことである。
しかし昭和27年でいう困窮者と現在の困窮者はイコールだろうか?
考えるまでもなく、全く異質のものだろう。昭和27年といえば、戦後の混乱からようやく安定しつつあり、復興のパワーと幸福になろうとするポジティブな力が働いていた時代である。その一方で、戦争の影響で生きる希望を失った者たちがまだまだたくさんいた時代でもある。
今日食う物にも困るような時代であり、現在のように娯楽費用が足りないとか、そんな馬鹿な理由で生活保護費を受給していたわけではないのである。
現在の社会に蔓延している病気なのだろうが、基本的に物欲病が著しいのだ。他人が持っているから欲しいだの、流行だから欲しいだの、子どもが欲しがるから買ってやりたいだの、とにかく欲をかき立てられる衝動が抑えられないというのは病気だろう。そういう病的な生活保護者にとっては、今日生かしてもらっていることに感謝の念もあるのか疑わしい。
生活保護者200万人ということは、単純に考えて、その1人に対して、その他の60人がそれぞれ毎日約40円ずつ募金しているのに等しいということになる。60人のうちの30人は未成年者やお年寄りであり、残り30人のうち10人が無職で、残り20人のうち、5人が生活保護者よりも少ない収入しか無い者(驚くべきことに不定期の低賃金では生活保護費よりも収入は少ない)やホームレスと考えると、この200万人という数字がいかにおかしなことかわかるというものだ。
生活保護のシステムを抜本的に改善しないと、この不条理な状態は絶対に解決しない。
まず五体満足で重い病気でも無い者に対しては単純な支給を取りやめるべきだ。
基本どこかに集めて何かをやってもらうのが一番いいとは思うが、心の病のたぐいだとだとしても内職くらいは出来るはずである。とにかく何らかの国家事業として、最低限のノルマを課すべきなのだ。
何らかの国家事業とは何か、別にそれは何でもいいが、民間企業が絶対やらないような事業や日本社会/地域社会への貢献でいいと思う。
たとえば、国会図書館にあるような著作権切れの明治/大正期の新聞記事や研究論文(誰も事業化しないような分野)を電子化してみたりとか、管理されていないような古びた寺社などの草むしり、田舎の山への植樹、不法投棄が多い山の監視、更にいえば普通に日本の道徳を含めて学問させるだけでもいいと思う。
とにかく何かをもって、賃金を得るというシステムにしなければならない。何もせずとも余裕で食えて更に娯楽費用までいくらかもらえるとなってしまうと、絶対に働こうとは思えなくなってしまう。(現在のように多少働いたところで、生活保護費に遙かに劣るようではなおさらだ。)そうなるのは本人にとっても向上心や矜持が失われるなどマイナスでしかない上に社会全体にとっても損失は大きくなる一方だ。
現在における安易すぎる福祉や施しにはノーと言わねばならない。平成になってますます顕著になってきている「正直者が馬鹿を見る世の中」は不条理ということだ。