しかし実際のところは、公共事業は悪でもなんでもない。公共事業の中には必須のものも多数含まれている。既存の公共物に対するメンテナンスはもちろん、利用率が極めて高いため負荷分散をするために新設するようなものもそうだろう。
これらを一緒くたにして公共事業を悪とした勢力こそ悪である。どのような人間でも悪と正を持ち合わせている。公共事業も全く同様なだけなのだ。
事業仕分けで仕分けられたもの?、埋蔵金? これらの正体がなにかといえば、事故や事件が起こらない限り無駄扱いされる公共物のメンテナンス費であって、安全のために設置する自衛隊基地や米軍基地なのだ。
これから高度経済成長期に作られたトンネル、高速道路、高架鉄道、地下鉄、ビルなど建造物、もちろん原発などの発電所などなど、常々のメンテナンスが必須のものだらけになる。
国民が主権を握り、最終的には政治に判断を求めるべきは、これらをメンテナンスしつつ使うか? それとも作り直すか? それとも完全破棄するか。この三択しかない。いつ壊れるかわからないが、メンテナンス費用をケチって破棄せずに使い続けるという選択肢はないのだ。
公共事業を単純に悪と決めつけているだけでは、全くなにも進まない。
日本全体の幸福のために、完全破棄する公共物を冷静に選択し、新規公共事業を的確に始めることこそが重要になるのだ。