お笑い芸人のはずの劇団ひとりが原作そして監督を務めた作品
あらすじで紹介されるように、大泉洋が扮する主人公は40歳過ぎても、しがないマジシャンであり、マジシャンバーの雇われバーテンに過ぎなかった。しかも10年年下の後輩はTVで抜擢され、もはや「なんで生きてんだ俺?」状態。そもそも出自も母もなく、母に捨てられた父とも20年以上会わず、その父がホームレスで挙げ句に死んだという連絡を受ける。
そこに青天の霹靂とも言うべき雷を受け、主人公は40年前の世界、昭和48年にタイムスリップし、全盛期を過ぎ衰退期に入った浅草を舞台に、若き日の父、そして母と出会うことになる。
ヒロインの母役でもある柴咲コウが美しかったり、父役の劇団ひとり、主人公も好演技も見せ、あらすじの予想通りの展開を見せる中盤までは良作レベルの面白さではあるが、所詮はよくあるタイムスリップもののバリエーションといった感じであり、笑いの要素が強いコメディ風味なのだが、
圧巻すべきは終盤。感動の嵐がわき起こる。
ももいろクローバーZ(ももクロ)のGOUNNツアー(仏教をテーマ)でナレーターを務めた久米明の「生まれを問うな。行いを問え」という言葉がよみがえる。生きていることにすら疑問を抱くほど自信喪失していた主人公は、自らの言葉で、自信を取り戻す。それが感動的で、俳優の名演技も相まって、涙無しでは語れないシーン。
劇中の最後の終わり方も余韻と希望を照らすように素晴らしかった。更に極めつけるようにエンディングテーマのミスチルの「放たれる」が感動を後押しするのだから堪らない。終わった瞬間の感動は果てしないものだ。
悲劇を喜劇にひっくり返すだけならよくあることかも知れないが、さらにそこに留まらず、希劇に昇華させる、ああ、この絶妙感、これが「人生は奇劇」ということなのか。この物語の終わり方は正しい。それからは何がどうなっても肯定的な生き様になることだろう。
この一年で10本ほど映画を観たが、私の中ではこれが一番傑作だと言っても過言ではない。
過去においても、これを超えるものはあまりないのではないか。
これには一応理由もあって、私が大正から昭和中期までの浅草が大好きなこと。主人公のように絶望はしてないにせよ、ある程度年齢が近いこと。なども手伝っているかもしれない。
にしても、これが映画初監督作品とは、劇団ひとり、恐るべしである。天才が才能を世に知らしめた作品になるのではなかろうか。今後の作品にも期待するしかない。