2015年03月30日

テアトル梅田

3/29日曜日は久々すぎるテアトル梅田。はっきり言って活動写真と呼びたくなるような、つまり感じが良いマイナー映画館である。

「パリよ、永遠に」  http://ameblo.jp/mapmomo/entry-12007811800.html
「忘れないと誓ったぼくがいた」 http://ameblo.jp/mapmomo/entry-12007812476.html
の2本を見ました。

面倒ですが、リンクしたアメブロ経由で感想書いた映画感想投稿サイトKINENOTEのサイト見てください。ただし「忘れない」の方はネタばれ感想ですので注意。

posted by アイナット at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女川復幸祭

3/21(土)は昼からのぞみ、そして人生初の東北新幹線はやぶさで仙台へ。
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(こまちとひっついている姿は東海道山陽新幹線しか知らない身には衝撃だった)
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仙台では腹の調子の不安がありつつも、ずんだ餅を食べるというミッションだけは達成する。
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そしてすぐさま石巻駅(石巻市)へ。ゼロゼロナンバーたちが迎えてくれた。
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その日は石巻のホテルに泊まり、翌、3/22(日)の朝一番電車で女川町へ向かう。

前日、ついに復活した女川への線路。その車窓の風景、女川駅など、この時点でよくわかっていない私にすら、感慨深いものがあった。
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映像や写真、伝聞でしか知らなかった女川の町は想像以上にまだ何もなかった。
駅は立派だったが、まさにそれだけである。

盛り土された場所が目立つが色がまったくない。灰色と土色といったむき出しの色しかない。
女川さいがいFMがある20メートル近くありそうな高台へ行ったが、そこまで津波が来たと実感し、戦慄を覚えるしかなかった。

(現在のさいがいFMがあるこの場所まで津波が押し寄せた)
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(女川さいがいFMに掲示)
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ももクロのライブも最高だった。女川町の人たちもとても楽しんでいたし、推され隊が考えたセトリが
もう瓦礫しかなかった女川を元気づける、女川に力づけるような曲の連続で、楽しすぎる時間だった。
個人的には翌朝のテレビにすっぱ抜かれていたので、テレビ映像は良い記念になったというおまけ付き。

女川町を訪問するきっかけになったのは、ももクロと女川町がオトモダチになって二年ということでもあるが、ももクロ目当てであっても、カラフルなモノノフが来ることによって、町が元気になる一助になるのであれば、ということもあった。

しかし復幸祭が開催された現地では逆に女川町や町の皆様から笑顔と元気を頂くという嬉しい結果になった。
復幸しようと、前へ進もう、過去を悲しがるだけでなく、教訓にして強くなろういう強い意思を感じた。

鮭のこぶ巻、カレー、ビスケットなど女川土産も買えたし、屋台で軽いものは食べれてとりあえず満足だが、
腹の調子的にも女川カレーや女川丼を食べられなかったというやり残しも
あるので、また訪問したいと思った。遠いけど、とても良い場所なので、まだまだ復興の様子を見守っていきたい。
今回は本当に来て良かった。こんなに満足感の高いももクロ現場はそうはない。おそらくももクロライブだけではなく、女川町を非常に楽しむことが出来たことがその要因なんだと思う。とにかくまた来なければ。

ちなみに女川町ではたくさん来ていた知り合い等とも会ったりしつつ、現地の人とも話せたりしつつもできた。きわめて楽しい一日だった。

帰りは利府駅(利府町)まで車で送ってもらえたので、仙台駅にもすんなり着いて、腹の調子も大体回復していたので、
名物の牛タンも食べることに成功。観光できなかった仙台でも、ずんだ餅と牛タンだけは達成できた。

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はやぶさで東京へ帰って、大宮東京間の鈍さにいらいらしつつw 品川のホテルへ到着。翌3/23(月)の朝、仙台土産を持って会社へ出社したという旅だった。



※女川では6/7に無料音楽イベント「我歴stock」が行われます

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2015年03月26日

初の東北前夜の戦い

3/20(金)は会社が休んでいいというので休みにしていたが、本来は仙台にこの日に行って観光に行くはずだった。
しかし前日昼過ぎから腹が痛く、それが胃腸に動きが全くないのに、腹痛が治らないという奇怪なタイプ。
正露丸も全く効かなかった。寝ても苦しいという状況。
前日の映画館の前半部は何とか耐えていたが、後半部がかなりグッタリしていた。

よって、予定を変更して、朝は病院へ。この時点では熱はなかった。
エコー検査、血液検査、点滴とかを待ち時間含めて4時間くらいやった結果が、特に問題はなかったが、白血球が強烈に多いからお腹の風邪という。
腹膜炎や盲腸初期段階だったらどうしようと思っていた私はなんだ風邪かと思い、安心して薬をもらって帰る。
毎日点滴したいから医者は入院をお勧めしてきたが。

しかし帰ってみると熱が39度を超えているという悪夢。
同行者がいるから女川は極力行かねばならぬ。とはいえこのまま治らないと絶対無理。
たださいわい結果的に薬を飲んで、ずっと寝ていた効果で、深夜には熱もおおかた下がり、
21日(土)の朝には普通に飯を食う自信はないものの、体調は復活していた。

とはいえ、準備なども一切していなかった上にぎりぎりまで見極めたかったので、ので、20日夜の段階で
仙台へ向かう新幹線の時間をまたもや変更してた。
当初予定の土曜日朝から土曜日昼過ぎに。この時点で仙台城とか有名どころの観光すら断念。

ちなみに金曜日泊まる予定だった仙台のホテルは良心的でキャンセル料、今回は無料にしてくれるということだった。
申し訳ない限り。

それでも21日(土)の昼からなんとか出発できたのだった。もちろん月曜出勤用に背広などのサラリーマンセットを持って。
そして東京でそれを預けて。残った荷物で仙台方面へ。
これが実に人生初の東北だ。というか北海道を除くと本州最北端だった埼玉を大きく超えて。はじめての領域に突入だ。

さて女川復幸祭編の本編は次回へ
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有安杏果さん「幕が上がる」単独舞台挨拶

3/14(土)は三重県東員町に行ってきた。
まずは早朝に近鉄特急2つ+急行、そして三岐鉄道を乗り継いで、北勢中央公園口駅へ。
イオンシネマ東員(員弁郡東員町)で、有安杏果さん「幕が上がる」単独舞台挨拶を観る聴く。
都会並に広い映画館で、席は遠かったが、伊勢エビポーズなどを堪能する。三重県初トーク、誕生日イブも祝えた。

イオンモール東員。田舎に浮かぶ巨大な城の様相
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終了後、たまたま出会った関西の仲間と駅までダッシュして、
近鉄弥富駅へ。ここでタクシーに乗り込み、TOHOシネマ津島(津島市)へ
それにしても東員町で帰り電車に乗っている人はほとんど見かけなかった。つまりそういうことなのか? それとも東員駅にみんな行ったのか?

TOHO津島のチケットは持っていないが、有安杏果さんの入り待ちで数メートルの間近で観れるという
奇跡を体験。出待ちも凄い人数にはなったものの、近くでお誕生日を再度祝えた。

有安杏果といえばカエルキャラだし
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あとはまたたまたま会った関西の別の仲間と飯を食べて、新幹線で帰って、今回の楽しい東海遠征は終了。
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2015年03月09日

今年の移動距離を概算値を出してみた

ももクロばかりですが、今年になっての移動距離が凄い件w

1/4(日)
実家の福岡から大阪へ移動。

1/18(日)
サンテももクロシークレットライブのためにZEPPダイバシティ東京(お台場)へ。
その後、同地で行われたTAKAHASHI1月号のLVは川崎で観戦
そのまま大阪へ帰る。

1/25(日)
ももクロ参戦のアニメ紅白のために代々木第一体育館(原宿)へ
もちろん翌日は始発で大阪の会社へ出勤

1/27(火)
「幕が上がる」完成披露試写会のため、新宿バルト9へ
午後半休で、翌日はもちろん始発で大阪の会社へ出勤

2/11(水)
ニッポン放送ももクロくらぶのバレンタインイベントのため、横浜アリーナへ
紀元節です。そのまま日帰りで大阪帰宅

2/14(土)
お台場のももクロ5人の「幕が上がる」舞台挨拶のため、お台場メディアージュへ
夜、大阪へ日帰りした。なぜなら2/15は早朝から夕方まで大阪でたこ虹のイベントだった

3/1(日)
大分わさだの有安杏果「幕が上がる」舞台挨拶のため、大分市のTOHO大分へ。
その場で発表されたイベント発表のため博多駅前へ。
更にサプライズの博多お出迎え会のため、TJOY博多へ。
3/1は最終手前くらいの新幹線で大阪へ帰る。
ちなみに2/28(土)の夜に神戸〜大分は船旅。

3/3(火)
ももクロとコラボしたKISSライブのため東京ドームへ。
埼玉県のふじみ野市も寄った。
もちろん翌日は始発で大阪の会社へ出勤


ここから上は済
ここから下は予定


3/14(土)
有安杏果「幕が上がる」舞台挨拶のため、三重県員弁郡東員町のイオンシネマ東員

3/22(日)
ももクロがライブする女川復幸祭のため、宮城県女川町へ。
土曜日はAM中に仙台へ行き、夜は石巻市に泊まり、日曜日夜は東京に泊まり
月曜は普通に大阪の会社へ出勤予定

4/4〜4/5(土日)
ももクロファンクラブAEイベントのため、福岡市のヤフオクドームへ。
月曜は普通に大阪の会社へ出勤予定



これを
単純に大阪-福岡(600km)、大阪-首都圏(500km)、大阪-女川(1000km)、神戸-大分(500km)
大分-福岡(150km)、大阪-東員(150km)、女川-東京(500km)で計算してみると、

1/4福岡→1/4大阪(600km)→1/18東京/川崎/横浜(1100km)→1/18大阪(1600km)
→1/25東京(2100km)→1/26大阪(2600km)→1/27東京(3100km)→1/28大阪(3600km)
→2/11横浜(4100km)→2/11大阪(4600km)→2/14東京(5100km)→2/14大阪(5600km)
→2/28神戸→3/1大分(6100km)→3/1福岡(6250km)→3/1大阪(6850km)→
3/3東京/ふじみ野(7350km)→3/4大阪(7850km)→3/14三重東員(8000km)→
3/14大阪(8150km)→3/21宮城(仙台、石巻)→3/22宮城(女川)(9150km)→
3/22東京(9650km)→3/23大阪(11150km)→4/4福岡(11750km)→4/6大阪(12350km)


12000kmオーバー
実際は真っ直ぐ着くわけではないので、もっとオーバーです
posted by アイナット at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ももクロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

ブールセックからの東京ドーム

なんかももクロの記事ばかりだが、今年になって、やってることがそれしかないのだから仕方が無い。

3/3は火曜日だが、有休をとってKISSのコンサートへ。ももクロとのコラボである。KISSのパフォーマンスは凄まじいもので、正直ロックには素人の私も圧倒されるばかりだった。楽しくクラップやモノノフらしくペンライトで応援できました。最後にももクロも出てきて最高潮の中終了。

ちなみにはじまる前も多数の知り合いモノノフと再会できて楽しかった。

本当にももクロのおかげで36年間全く知らなかった、縁の無かった世界をどんどん知ることができてる。モノノフになる直前、3年前の俺に教えてあげたい。世の中にはこんなに素晴らしいものにあふれているということを。これはKISSに限らないね。モノノフになって世界が確実に圧倒的に広がった。間違いなく性格も良くなった。



昼間はふじみ野市のブールセックへ。有安杏果さんゆかりのケーキ屋で、予約していた苺のタルトを美味しく頂きました。本当に甘すぎることなく、苺の素材が生きた大人の味って感じでした。店員さんもとても親切で、尋ねもしてないのに、座った席を教えてくれたり、サインの位置も教えてくれたり、いやーまた来たいももパワースポットが増えた。

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場所は東武東上線のふじみ野駅から徒歩5分くらい。ふじみ野駅は池袋駅から25分くらいです
posted by アイナット at 23:22| Comment(2) | TrackBack(0) | ももクロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もっとこんなに幸せなことはない

2/28土曜日、憧れの「さんふらわあ」に乗る。
なぜ憧れかと言えば、小学生の頃、門司港〜大阪南港を名門大洋フェリーに良く乗っていたのだが、そのときに大阪南港でよく見た「さんふらわあ」がかっこよく見えて憧れていたから。

しかしその割には神戸港から乗った。まぁ同じ「さんふらわあ」だから問題ないよね。
なぜ神戸港から乗ったかと言えば、目的地は別府市ではなく、大分市だから。そして時間を節約したいから。

この日は多くの人に出会えた。そしてお世話になった。
まず偶然にも「さんふらわあ」に顔見知りの大阪のモノノフが乗っていた。モノノフは二人限りだった。とにかくおかげで楽しい船旅となった。

明石海峡大橋 本州側
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大分港に到着直前
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15年ほど前に舞鶴〜小樽、小樽〜敦賀で乗ったきりだった船は、とても快適に眠ることもできて悠々自適だった。これは大分行くときには有効な手段だと思う。値段も安い。

大分港に着いたら、ありがたいことに前日に約束してくれていたとおり、大分の顔見知りのモノノフが車で迎えに来てくれていた。正直、雨が降っていた上に、どうやって、目的地(わさだ)に到達すればいいのか考える必要がなくなったので、まさに感謝しかない。この時点でも。

大分わさだの舞台挨拶では、奇跡も発生。頭真っ白になってしまうという失態もあったものの、まさか説明用に私物を貸すことができようとは。
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(追記 3/8)
杏果が撮った写真が一枚だけあるという話題で、それがパンフレットではなく、大きなフォトブックのことだと判明。フォトブックをたまたま旅路に持ってきていた私は賺さす持ってることをアピール。(さすがに持ってきてる人は他にはほぼいなかった模様)ここまでは勢いです。
その結果、杏果がH列の私の所まで歩いてやってきて、手渡しできたという流れでした。その後、そのフォトブックで杏果が撮って唯一掲載されている写真の説明をしていたことは覚えているけど、心ここにあらずだったんだよね。。むしろ手渡しの瞬間は周りが大喜びだったw
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それにしても、この一週間で名前と顔かー。こんな1/1000以下くらいの出来事が連続だから凄い奇跡ですわな

大分ではその自動車乗せてくれたノフに便乗して、多くの方と出会えた。
そしてその大分わさだの現場で博多駅でイベントがあることが発表されたので、本当はその後大分を満喫する予定だったのだけど、再び車に乗せてもらって、2時間かけて博多駅へ。アサデスに映ってたなー。

しかも出迎え会が開催されることも判明し、上手い具合にチケットもゲットして、一日に三度目。間近で観れて。なんという日だっただろう。

結局0時過ぎに大阪に着。凄まじい一日が終わったのでした。
posted by アイナット at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ももクロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする