2011年02月11日

バケル君がやばすぎる

パーマンに少し似ている要素がありそうだったため、藤子・F・不二雄全集の「バケルくん」というのを読んでる途中なのだが、この漫画が極めて不健全すぎる。

1975年頃に小学二年生とか三年生とかの学年誌に載せていいような内容じゃない、と今更ながらつっこみたくなってくるような話だ。


人形(バケルくんなど多数)の鼻を押すと、バケルくん人形が人間に、主人公の小学生(カワルくん)が人形に変化するのだが、
親父人形の財布からは無限に札束が出てきて多くの事件を結局大金で解決しすぎているところも不健全きわまりないし、姉のユメ代人形に学友が惚れているのをいいことに色々とからかって遊んだり、あまりにも酷すぎて、いや面白いだけどね。
が、小学生低学年に読ませる内容にしてもあまりにあんまりだろうというような漫画だ。
(確かに初期のドラえもんも人間製造法、人体バラバラにしたりとか倫理的に危険極まりない異常な話も多数あるがSFらしい装置あってのもの、このバケルくんの場合は漫画全体からその雰囲気を醸し出しているところが、また別次元というか、何というか。だって札束で解決パターンが多すぎるように、異常な中にも現実的なのが。)


バケルくんとカワルくんの立場は、パーマンと須羽満夫の関係にも似ている点があるのは確かにあった。それが読み始めた大きな理由だ。
まず似てる点を挙げれば、本体のカワルくんや満夫くんはドジで運動神経もなく人望も薄く女の子にももてないのだが、バケルくんやパーマンに変身したら、運動能力が上がるし人望もアップし女の子にももてるようになるのだ。この本体と変身後の能力差と人望の差によるギャップに悩むという点は同等に見える。

しかしパーマンの場合は、パーマン以外の普通の人(家族含む)誰に対しても正体を絶対秘密にしなければならないという厳しい規則(破ると上司のバードマンに動物にされる。少なくとも記憶は確実に消される)があるのに対し、
このバケルくんの場合は秘密にはしているようだが別に罰則はない。フリーダムだ。

またパーマン1号(本体は須羽満夫)はお金に縁がないが、
バケルくん(本体はカワルくん)の場合は親父人形と入れ替わるだけで無限の札束を自由に使うことができる。実際に自動車を買ったり、土地を買ったり、やりたい放題である。

パーマンになっても頭が良くなるわけではないので、元々の頭があまり良くないパーマン1号の須羽満夫は宿題をよく忘れて廊下に立たされるが(それでもパーマンになったときの救助活動中には様々な臨機応変な頭の良さは見せていると一応フォロー)、
バケルくん(本体はカワルくん)の場合は姉のユメ代人形と入れ替わるだけで、頭脳明晰になり、宿題は10分で終わってしまう。それ以外でも知恵を借りたい時に有効利用可能。

パーマン1号(本体は須羽満夫)は空腹になると食事を作る能力が全くないが、バケルくん(本体はカワルくん)の場合は母親人形と入れ替われば、当たり前に食事を作ることが可能。

結論いえば、バケルくんはあまりにも万能で、ペナルティもない。まだ途中までしか読んでいないが、この完璧な能力すぎる上に金で解決という点が、この時期に一年以上連載してたわりにアニメ化されることもなかったはずだと頷けてしまうというか、何というか。


と、バケルくんのあまりの予想外の面白さに、思わず感想を認めるのだった。単純な面白さでは傑作の部類なのは間違いない。逆に今の時代ならアニメ化してもいいのでは、シンエイ動画でどうだろう。


posted by アイナット at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | パーマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
人気ブログランキングへ