例外といえそうなのは、今回取り上げる東北地方を除いたら札幌市と旧佐賀市くらいなものだ。
え、小郡町と合併する前の山口市は内陸だったって? いやいや山口市は今でも経済規模で言えば、山口県3番手か2〜4番手程度だということを忘れてはならない。下関市、周南市、宇部市といった山口県の主力都市はいずれも沿岸部に位置しているので決して山口県は例外とはいえないだろう。
さて、東北地方である。どうして東北No2の経済力を誇る郡山市、福島No3の経済規模ながら県都の福島市、東北No3の盛岡市、そして山形市は内陸に位置しているのだろうか? 更に言えば、東北No1都市の仙台市の中心部は古くから奥羽山脈の迫る内陸部である。
極めて悲しいことだが、今回の東日本大震災で、その理由がわかったような気がした。
もともと明治時代に敷かれた鉄道や幹線のたぐいは江戸時代の都市部を結ぶものだ。江戸時代以前にも栄えていたところとして上記の現在の大都市群が挙げられ、また同じく内陸都市の米沢や会津若松、白河、水沢、古川などもそれに加えてもいいだろう。
つまり古くから海沿いは定期的に大津波に見舞われるということを、先人達はよく理解し、畏怖していたということなのだ。だから内陸部に拠点都市を作り上げ現在に至っているということなのだろう。古くからの伝承の類には、現在の学者の説明を超越する、それ相応の真理が隠されているということだ。
そして逆説的に考えると、岩手県から福島県の今回の被害がもっとも大きかった地域を除くと、有史以降の津波被害は伝承として伝わるほどそれほど大きなものでは無かったのだとも考えられる。
つまり浜松市、和歌山市、徳島市、宮崎市など、100年に一度の東南海地震の影響エリアであっても、地震による被害はともかくとして、過去に今回のような破滅的な津波が押し寄せたことはないのではと思われるということだ。
もっとも今回、八戸市や千葉の旭市についても大きな被害を受けているだけに、上の理論は破綻しているかもしれない。
そういう事を踏まえて九州のいくつかの県を考えてみました。
田舎だからかもですが、昔の城跡や城近くに点在しています。
昔からの立地って、深い意味があったんだなぁ…と改めて感心しました。
やはり情報の累積というものは大きいですね。日本は古くからの歴史が連続しているのですから、その古い情報を有効に活用していくべきだと思います。新しい物も大事だけど、古い物も大事なんです。