個人的にはこの判断の結果そのものには賛成だ。浜岡原発の危険度は他の原発と比較して群を抜いているというのも事実だからだ。むろん他の原発が100%安全でないことも確かだが、物事には順番というものがあるだろう。
しかし管総理は津波対策が終われば、再稼働させると言っている。この点が納得しがたい。稼働中の原発事故のリスクを少しでも減らすために、二度と稼働させるべきではないと考える。
いずれにせよ廃炉(停止後10年以上を要する?)にするにせよ津波対策は必須なのは言うまでもない。この際だから実働する原発を廃炉にする世界的な実績はいまだゼロなのだから、その実績と安全スピーディに廃炉にする技術の確立を他国に先んじて開発し、今後のビジネスモデルにねじ込むといった国家戦略を立てるべきだろう。
さて、浜岡原発は廃炉にすべきと言ったが、福井の原発はどうだろう。かねてより主張しているように、中でも美浜原発(福井県美浜町)のものは福島第一よりも古いものもあり、しかも古いだけに出力が極めて小さいものとなっている。出力はともかくとして、黎明期の設計のものは一般論で考えても設計思想の安全性に不安定なのものがあるのは当然のことだろう。浜岡原発同様に廃炉を目指すべきだ。ただし敷地に空きがあるならば、隣に最新の原発を建て、その最新式の稼働を持って、旧型は停止し廃炉にすべきだと考える点で、浜岡とは事情が異なる。
つまりは耐久年度40年を超えたものは廃炉にする。ただし早急な原発廃止を訴えるわけではなく、浜岡や福島、女川のような太平洋側のリスクの大きい箇所を除いて、最新型に刷新せよと主張するわけだ。(日本海側のリスクと韓国や中国の原発のリスクは似たようなものだろう)
最終的には原発なんてものは消えて無くなる方が良いに決まっているのだが、代替手段の乏しい現時点では残念ながらその時期ではないということだ。
いずれにせよ、世界中の原発約450機(米仏日で半数を占める)があるということは、今後万が一人類が戦争でも疫病でも何かで人口の半数が死に絶えるような壊滅的な被害を被るようなことが起こった場合は、原発制御が出来なくなった時点で、生き残った人類も他の生物も同時に滅亡するしかないということだ。
SF小説で良くある世界戦争で文明社会崩壊後に、一部人類が生き残って、江戸時代のような中世の生活に回帰したり、人類滅亡後も地球上の他の生物が繁栄し、やがて次の知的生命になるというようなことにはならないということだ。
そう考えると、原発とは何という傲慢な道具なのだろうと思わざるを得ない。このままでは文明社会の崩壊=地球生命の歴史の終焉となってしまいかねないのだ。