2011年12月27日

司法の独立を堅守した明治時代と司法が行政に支配される現在

今から120年ほど前、明治の治世の頃に発生した大津事件では、ロシア帝国皇太子が日本国警察官に斬りつけられるというテロ事件が発生したものの、児島惟謙裁判長の活躍もあって、行政府からの圧力に耐えて、三権分立の原則を曲げることなく司法の独立を勝ち取るという大儀を成し遂げた。

一方、現在においては朝日新聞「死刑執行、19年ぶりゼロへ 法相、年内命じる動きなし」の記事タイトルが示すように、司法(裁判官)が法律に則って下した判決を行政府の一員たる法務大臣(民主党議員)が法外な判断で無視し続けるという事態となっている。


これはまさに司法の無効化、三権分立の原則を根本から否定する民主主義の危機というしかない

しかもえん罪の疑いがあるので死刑を保留しているというような特例というわけではない。全犯罪者の守護者に立っているだけというのだから驚きだ。


平岡のような誰がどう見ても不適任者を法務大臣に任命したのは野田総理である。マルチ商法で拉致問題に全く詳しくも感心もない山岡を消費者担当大臣かつ国家公安委員長にしたり、防衛について素人と自分で言うような一川保夫を防衛大臣にしたり、野田内閣というのは民主党らしい絶望的な面子で構成されているが、この平岡秀夫も最悪中の最悪3名に含まれる。

自民党政権時代にマスコミが連呼していた首相の任命責任という言葉は民主党政権下では完全に死語となるらしいのが、マスコミが低俗と言われる所以だろう。
posted by アイナット at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
人気ブログランキングへ