誰でもいいから惨殺した。死刑になりたいから赤の他人を殺害した。
赤の他人に意味もわからず殺されるほど悲惨の最期は無い。何らかの逆恨みを買って殺される方が多分マシだ。それでも殺されてしまう理由を考察することが出来るからだ。しかしこの手の無差別殺人には意味は全くない。事故死も結果的には同じじゃないかと思うかも知れないが、どちらも理不尽とはいえ、その残忍性はやはりレベルが全然違う。
ウォールストリートジャーナル日本版によれば、大阪府知事の松井知事が「死にたいなら自分で死ね」と発言したというが、まさにその通りであり、このような殺人者に対する言葉としては相応というしかない。このような人間界で最も忌むべき犯罪者に対してすらオブラートに包んだ発言しか出来ないような公人は要らぬ!
冤罪の可能性がゼロの今回のような殺人者に対する罰は厳罰、いやむしろ中世を思い起こさせる惨殺刑であるべきだ。そうしないとこの手の事件は抑止しようがないではないか。
私とは全く正反対の立場、犯罪者擁護主義の民主党のような左傾的な行きすぎた人道主義者たちが精神病を理由に無罪減刑を勝ち取ろうと見苦しい弁護活動をするかと思うと、反吐が出るというしかあるまい。願わくばそのような行動に出ぬことを祈るが犯罪者擁護せずにはいられない似非人権主義者どもには難しいのか?