(こまちとひっついている姿は東海道山陽新幹線しか知らない身には衝撃だった)
仙台では腹の調子の不安がありつつも、ずんだ餅を食べるというミッションだけは達成する。
そしてすぐさま石巻駅(石巻市)へ。ゼロゼロナンバーたちが迎えてくれた。
その日は石巻のホテルに泊まり、翌、3/22(日)の朝一番電車で女川町へ向かう。
前日、ついに復活した女川への線路。その車窓の風景、女川駅など、この時点でよくわかっていない私にすら、感慨深いものがあった。
映像や写真、伝聞でしか知らなかった女川の町は想像以上にまだ何もなかった。
駅は立派だったが、まさにそれだけである。
盛り土された場所が目立つが色がまったくない。灰色と土色といったむき出しの色しかない。
女川さいがいFMがある20メートル近くありそうな高台へ行ったが、そこまで津波が来たと実感し、戦慄を覚えるしかなかった。
(現在のさいがいFMがあるこの場所まで津波が押し寄せた)
(女川さいがいFMに掲示)
ももクロのライブも最高だった。女川町の人たちもとても楽しんでいたし、推され隊が考えたセトリが
もう瓦礫しかなかった女川を元気づける、女川に力づけるような曲の連続で、楽しすぎる時間だった。
個人的には翌朝のテレビにすっぱ抜かれていたので、テレビ映像は良い記念になったというおまけ付き。
女川町を訪問するきっかけになったのは、ももクロと女川町がオトモダチになって二年ということでもあるが、ももクロ目当てであっても、カラフルなモノノフが来ることによって、町が元気になる一助になるのであれば、ということもあった。
しかし復幸祭が開催された現地では逆に女川町や町の皆様から笑顔と元気を頂くという嬉しい結果になった。
復幸しようと、前へ進もう、過去を悲しがるだけでなく、教訓にして強くなろういう強い意思を感じた。
鮭のこぶ巻、カレー、ビスケットなど女川土産も買えたし、屋台で軽いものは食べれてとりあえず満足だが、
腹の調子的にも女川カレーや女川丼を食べられなかったというやり残しも
あるので、また訪問したいと思った。遠いけど、とても良い場所なので、まだまだ復興の様子を見守っていきたい。
今回は本当に来て良かった。こんなに満足感の高いももクロ現場はそうはない。おそらくももクロライブだけではなく、女川町を非常に楽しむことが出来たことがその要因なんだと思う。とにかくまた来なければ。
ちなみに女川町ではたくさん来ていた知り合い等とも会ったりしつつ、現地の人とも話せたりしつつもできた。きわめて楽しい一日だった。
帰りは利府駅(利府町)まで車で送ってもらえたので、仙台駅にもすんなり着いて、腹の調子も大体回復していたので、
名物の牛タンも食べることに成功。観光できなかった仙台でも、ずんだ餅と牛タンだけは達成できた。
はやぶさで東京へ帰って、大宮東京間の鈍さにいらいらしつつw 品川のホテルへ到着。翌3/23(月)の朝、仙台土産を持って会社へ出社したという旅だった。
※女川では6/7に無料音楽イベント「我歴stock」が行われます