6/6仙台駅を後に、仙石東北ラインというつい最近設定された快速電車で石巻へ向かう。
この仙石東北ラインが前回なかった鉄道線で、前回利用したバスよりも速くて便利だった。そして石巻からはそのまま石巻線で女川町の浦宿駅へ。この時点で19時前くらい
前回やってきた3/22以来の女川町である。(記事:女川復幸祭)
こんな夜という時間に、なぜ女川にやってきたかと言えば、前回の記事にも書いた通り、前回は不調だったので、食べられなかった女川カレーを食べるためだ。
少々道に迷いつつも、女川高校のグランドに仮設商店街を展開しているきぼうのかね商店街へ。
念願の女川カレーを食べることが出来た。ついでに大きな餃子も頂き、お腹いっぱいになって最終電車で石巻へ戻ってホテルへ。
この日は朝3時過ぎに起きて、欧州CL決勝のバルセロナVSユベントスを観戦。ユーヴェを応援したが、バルサがさすがの強さだった。という閑話休題
朝一の始発で、石巻駅から女川駅へ。女川駅前は2ヶ月前とそれほど変わってない。
すぐそばには女川港。カモメも飛んでいた。離島への旅客船も発着していた。
お土産もたくさん購入。前回は売り切れで買えなかったので鮭の昆布巻きで我慢したが、今回はサンマの昆布巻きもゲット
パンフにも名前を載せてもらった無料音楽イベント我歴STOCK2015は小学校のグランドで開催された。
女川町長もギターでノリノリである。まさに町民大盛り上がり、出店も多数出展し、前回食べられなかった海産物、ホタテとマグロの串焼きを食べた。
昼間には我歴ストックを抜け出し、有名な、おかせいへ。かなりの待ち時間を要しつつ、念願の特選女川丼を頂く。
トロまぐろ、まぐろ赤身、鰤、真鯛、鯨、赤貝、鰹、帆立、いくら、生うに、赤海老が入った恐るべきまでの超美味の豪華丼なのだ。いやー美味かった。腹一杯。おかげで夕飯を食う必要すら無かった。
我歴ストックでは3月の復幸祭で出会ったモノノフや初めて会うモノノフとも話すことが出来て楽しかった。
その我歴ストックも16時過ぎに終了し、そのまま直後の列車で石巻、仙台経由で仙台空港駅へ。無事帰りのピーチにも間に合って、20時半初の飛行機で関空へ。
しかし関空着いたのが22時、家が24時。つまり関空遠すぎるというのが改めて思ったことだった。遠すぎて利便性が低すぎる。仙台空港、仙台間が近いからますますそう思えてしまった。
とにかくこうして、6/5夜の関空野宿からの旅程は終了。二日連続リュックを背負いつつの2万歩以上。16kmの歩行だったが、翌日の月曜も火曜も案外元気だったので、我ながら慣れたものか。
おっと、仙台銘菓の「萩の月」を土産に買って、たぶん初めて食したが、これが一個200円だけの価値がある美味だった。名前から和風と思っていたら洋風お菓子だったのね。