いや、聞き覚えがないだけならまだいい。今回のは「死ね」という有り得ない言葉が上位に選出されたのだ。
他の言語もそうかもしれないが、日本語は太古の昔から言霊だ。言えば現実になると信じられる言葉。今回の「死ね」を選んだ人達や支持者たちは比喩だとか待機児童問題への問題提起だと言っているが、あまりにも今さえ良ければ、自分たちさえ気が晴れればいいという考えとしか思えないくらい、あまりに浅はかすぎて悲しくなってくる。
その発生過程からして有り得ないことかもしれないが、もし待機児童問題が解決したとしても、今度はこの流行していてると主張する悲しいまでの憎悪の言葉が、その児童達の、大人達の健全な精神を容赦なく蝕み荒廃いくという問題が発生することを想像すらもできないのだろうか。現実は当たり前だが、この言葉は全く使うことを推奨どころか極めて忌避されている言葉だ。相手に与える衝撃次第で暴行罪すら適用される可能性があった。それが一気に皆が使い出したらどうなる。日常に入り込むことすら恐ろしいことなのに、小学校などで流行してしまったら誰が止められるだろう。
せめて古来からの比喩表現「去ね」にして欲しかった。英語のgoneとかからしても世界的にも、古代からも直接は避ける表現のはずなのに、なんだろう。この締め付けられるような苦しさは。
世界は優しさで満ちて欲しいと願うが、その逆に憎悪に満ちて欲しいと願う人達がいることを改めて知らされた流行語大賞となってしまった。私は悲しい。